1.はじめに
私が国語塾を開いてから、ありがたいことに多くの生徒さんや保護者の方が来てくださり、現在もほとんどの時間帯が埋まっています。そのため空き枠を待ってくださっている方もいらっしゃいます。
受験は子どもたちにとって大きな挑戦です。だからこそ、私も日々その努力を支えることにやりがいを感じています。しかし、受験はあくまで通過点であって、ゴールではありません。目の前の合格だけにとらわれてしまうと、本質を見失いかねません。
今回は、私が国語を教える根底にある考えについてお伝えしたいと思います。
2.国語力は「考える力」の土台になる
国語の力とは、単に文章を読んで設問に答える技術ではありません。文脈を読み取り、情報を整理し、自分の考えを論理的にまとめる。つまり、「考える力」を鍛えることそのものです。
私の授業では、答えをすぐに教えるのではなく、「なぜそう考えたのか?」「根拠はどこ?」と問いかけ、思考のプロセスをたどることを重視しています。こうしたやりとりを通じて、思考の深さを育てることを狙っています。
そして、この「考える力」が育つと、国語だけでなく他の教科でも理解が早くなり、勉強そのものがスムーズになります。つまり、国語とは「勉強する力」そのものを高める科目といえます。
3.社会でこそ生きる「考える力」
学生時代には、試験に正解があります。しかし、社会に出れば誰も正解を教えてくれない場面ばかりです。だからこそ、自分の頭で状況を理解し、何を大切にし、どう動くかを考える力が求められます。
国語を通して育つ「考える力」は、まさにその基礎です。物事を正しく理解し、自分の言葉で伝える力は、コミュニケーションや仕事の現場、人間関係など、あらゆる場面で必要とされる力です。
特に、終身雇用や年功序列といった昔ながらの古い枠組みが崩れている今、ただ良い大学に入り、大企業に就職するだけでは安定の保証は難しいです。多様な生き方が可能になった現代だからこそ、自分で考える力が一層求められています。
4.大学入試で問われる「思考力」
近年の大学入試では、文章を読み解き、考えを整理して答える力が求められるようになってきています。
たとえば、共通テストの現代文では、複数の文章や資料を比較しながら情報を整理し、問いに答える問題が出題されており、論理的思考力や判断力が問われています。
つまり、大学入試そのものが「考える力」を試す場へと変化しているのです。これは、社会に出たあとに必要とされる力とも深くつながっています。
受験はその意味で、思考力を実践的に鍛える絶好の機会です。そして、その過程で育まれる力こそ、本当の価値があると私は考えます。
5.受験を通して見据えるその先
中学・高校・大学、それぞれの受験は節目であり、生徒が努力を重ねる大切なプロセスです。ただし、それをゴールにしてしまうと、合格後に目標を見失い、燃え尽きてしまうこともあります。
重要なのは、その先を見据えること。国語を通じて育った思考力や表現力は、進路選択などだけではなく、その後の人生を切り拓く力につながるものです。
受験は一時的な通過点にすぎません。
大切なのは、そこで得た力をその後につなげていくことだと考えます。
6.自分で考える力が生きる時代
これからの時代は、正解のない問題に向き合うことがますます当たり前になるでしょう。AIや自動化が進む中で、人にしかできない「考える力」がより大切になってきます。
自分の頭で状況を理解し、情報を取捨選択し、自分の言葉で伝える。この力は、進学や就職のような大きな選択にはもちろん、日々の小さな出来事にも関わってきます。
国語の学びを通じて育つのは、まさにこうした「物事を筋道立てて考える力」です。それは、どんな時代においても揺るがない、自らの財産となるでしょう。
7.なぜ国語を教えるのか
国語を教える目的は、受験で点数を取ることにとどまりません。もちろん、志望校に合格することは生徒にとって大きな自信になります。しかし、それ以上に大切なのは、自分で考える力、つまり論理的思考力を育てることだと考えています。
私はこの力を身につけることで、生徒さんが単純に国語の点数を上げるだけではなく、それを自分に必要な知識や技能の習得に役立て、自らの人生を切り拓いていってほしいと願っています。